撮影スタジオを設立し、カメラマンとして活躍されているかたに、独立までの道のりや今後の目標をインタビューしました。

父が撮ってくれた写真は今でも大切な宝物!

私は中国で生まれました。両親は私が物心ついたころから日本に滞在しながらシゴトをしていて、3歳から12歳まではほとんど離れて暮らしていました。父はカメラが趣味で、私が日本に遊びに行ったときにはたくさんの写真を撮ってくれたことが印象に残っています。その写真はどれもステキで、今でも大切な宝物。父が撮ってくれた写真や楽しそうに撮影する様子を見て、カメラのことが大好きになりました。

高校時代、両親と進路を一緒に考える機会がありました。絵を描くことも好きで、高校1年生のときから両親の知り合いの絵画教室で絵を習っていたこともあり、高校卒業後は美術大学を受験したいと考えていたところ、日本への留学をすすめられました。当時の中国は、デザイン分野が今ほど進んでいなかったためです。両親のすすめ通り卒業後は日本に留学。平日は日本語学校、週末は美大受験予備校に通いました。そして1年後、武蔵野美術大学に合格し大学生活がスタートしました。

居酒屋バイトで敬語を習得

大学生活の中で1番苦労したのは日本語です。最初は言葉が詰まってしまうことが多く、友だちとコミュニケーションを取ったり、授業で作品を発表したりするのも本当に大変。そこで役に立ったのがバイト経験です。大学1年生の後半から卒業するまでの約3年間、家の近所の居酒屋ではたらきました。

あるとき店長から「ハンちゃん、あれ取ってきて!」と言われ「はい!取って来るね!」と答えてしまったことがあります。店長からその言葉遣いを注意されたのはいうまでもありません……。あのときのことは今でもよく覚えています。接客のシゴトをする際には、敬語を使えることは絶対条件。バイトで学んだ敬語のお陰で、今もお客さまと接するときに助かっているなと実感します。

大学でカメラを学ぶも、カメラマンの道は一度あきらめた

大学ではデザインの勉強をしながら、カメラの授業も受けていました。改めてカメラに触れてみると、子どものころにカメラが好きだったことを思い出し「将来はカメラマンになりたい!」と考えるように。そこで大学4年生のときに、カメラマンになるための勉強として、写真屋さんでもバイトをするようになりました。シゴトを通していろいろな人の写真を見たり、現像をするときにオーナーが写真のコントラストを考えて色を調整する様子はとても勉強になりました。

でも、カメラマンになりたい旨を父に相談すると「ひとりでカメラマンとして生きていくことはとても大変」と反対されてしまったんです。そのときはまだ子どもで意思も弱かったんでしょうね。カメラマンの道をあきらめ別のシゴトをしようと、就活に励むことにしました。

しかし2008年はリーマン・ショックの影響で就職難といわれる時期。友だちの中にもなかなか就職先が決まらず悩んでいる人がたくさんいました。両親からは、大学を卒業してから少なくても2年は日本で就職をしたほうが、いずれ中国に戻ったときのキャリアに繋がると言われていたこともあり、どうしても日本ではたらきたいと考えていました。でも、簡単には就職先が決まらない。希望する職種よりもまずは就職することを優先し、デザイナーとして採用してくれたゲーム制作会社に入社するも、わずか2年で会社が倒産。すぐに同業の会社に転職しましたが、その年の3月、東日本大震災が起きました。

日本が大変な状況に置かれているのを肌で感じながら、いろいろな考えが頭の中をよぎってきて、ふと自分自身に立ち返る瞬間がありました。そして、新卒で就職をしてからというもの、シゴトばかりの日々で大好きだったカメラに一度も触れていなかったことに気がつきました。すぐに新しいカメラを購入。会社も退職し、平日は業務委託としてデザインのシゴトを受けながら、週末は写真を撮ることに専念するようになりました。

自分たちにしかできないクリエイティブを求めて

撮影の中でも、子どもを撮るのがとても好きです。子どもは自然な姿を素直に表現できるから。あるとき、SNSでステキなハンドメイドの帽子を発見しました。その作品を見たとき、わたしもオリジナルの帽子や衣装を子どものために手づくりして、一緒に撮影できたらいいなと思ったんです。すぐにその作品をつくっている人に連絡を取り、その人が主催するハンドメイド教室に通うようになりました。その人こそが、現在のシゴトのパートナーです。

彼女とは出会ったころから意気投合し仲良くなりました。彼女の子どもが1歳半ぐらいのころに一緒にピクニックに出かけ、写真を撮ったことがあります。そのとき、その写真を見ながらカメラマンとして生きていきたいという話をすると、彼女から「小さな部屋を借りて一緒に作品づくりをしよう!」という話が持ち上がったんです。それまで彼女からは、シゴトに対してたくさんの助言をもらったり、お互いになんでも話せる仲で、すでになくてはならない存在になっていました。なによりも、私は彼女の作品が大好き。私がつくるよりも、彼女がそばで作品をつくってくれて、それと一緒に撮影をしたらきっと素晴らしい写真が撮れると確信しました。

それから改めて写真について勉強するために写真の学校に通い、そして2016年の1月、スタジオ兼アトリエとして部屋を借りて、カメラマンとしてのシゴトが本格的にスタートしました。スタジオのテーマは「ふたりにしか撮れない作品を残す場所」。スタジオ内には、パートナーがつくった刺繍や帽子などが飾られていて、わたしたちの個性を存分に表現しています。

今は口コミで少しずつお客さまが増えています。でもまだまだスタートしたばかり。まずは経営を続けていくことが大切なため、これからどんな方法で宣伝をしていくかなど、考えることはたくさんあります。写真はただの記録ではなく、見る人、そして撮影する側をもしあわせにしてくれるアイテムです。これからも私たちにしか撮れない写真を撮影し、みんなのうれしそうな表情を生んでいきます。