天職、見つけた!
1年間で1万皿以上。食べることが好きだから、食べる。
やりたいことを突き詰めるには、身を削るのも当たり前
#15 [前編]美食家
来栖けいさん

プロフィール

来栖けい

美食の王様。1979年埼玉県生まれ。あのグルメ評論家の山本益博氏に「わたしの仕事を超えてゆく新人がついに現れた」と言わしめた稀代の美食家。人並み外れた「舌」と「胃袋」、そして「食への愛情」の持ち、その舌は、食材の原産地の違い、調理法、組み合わせの善し悪しから、コースの組み立てまで分析。正確に味を記憶し、表現する。取材を一切しない独自のスタイルを貫き、著書に『美食の王様 究極の167店 珠玉の180皿』(筑摩書房)、最新刊『美食の王様 ベスト200皿』など多数。


略歴

1979年

埼玉県生まれる。物心がつく前から母方の影響からアンパンを愛し、なにかにつけ食す

1984年
転機

5歳にしてフレンチレストランのデザートと出会い、食に開眼。

1995年

これまで親に連れて行ってもらっていたが、自分のお金で食べ歩きをはじめる

1996年

コンビニなどのバイトでお金を貯め、食べ歩きの資金に

1997年

大学入学。時間に余裕ができ、食べ歩きの経験に磨きをかける

2000年

卒業後、一時、実家へ帰る。ただし週に数回は東京で食べ歩きを続け、その量の多さが噂に

2003年

初の自著『美食の王様 究極の167店 珠玉の180皿』の執筆を開始

2004年
転機

2004年 レストラン、スイーツ、パンを一冊にまとめようとしたものの、おさまりきれず、レストランだけ先行して『美食の王様 究極の167店 珠玉の180皿』が発刊。グルメ界に衝撃を与える

2007年

『週刊朝日』での連載や、『オールアバウト』の「食べ歩き(首都圏)」ガイドを担当するなど、数多くのメディアで活躍。 『美食の王様 ベスト200皿』(筑摩書房)


最近のニュース

2007年に食べ歩いたお店単位ではなく皿単位で星リストを掲載した全国版『美食の王様 ベスト200皿』(筑摩書房)。上野・東京都美術館にて12月14日まで開催されている『フェルメール展』にて、フェルメール×ロブション×来栖けいでスイーツをコラボ。ウェブサイトで参加者を募集する食事会を開催。

『美食の王様 ベスト200皿』
『美食の王様 ベスト200皿』
筑摩書房
1365円(税込)


影響を受けた言葉


「磨斧作針」

斧を磨いて、磨いて、針を作る。相当大変ですよね。普通では考えられないこと。でも、毎日のように根をつめてやれば、絶対いつかはできるんですよね。その“いつか”は何年先になるのかわからないですけれど。どんな困難なことでも、忍耐強く努力すれば、必ず成功する!


あなたにとって、バイトとは?


「自分で稼いだから 使うときも真剣」

やりたいことや目標は、お金をかけないとできないもの。バイトで自分が稼いだ金だからこそ、当たり前と思わないし、真剣になれる。バイトはすごく得るものが大きいんじゃないかなって思います。



TEXT:古関千恵子 PHOTO:森浩司

職業は、美食の王様。神が与えた天性の“舌”と強靭な“胃袋”をもち、あのグルメ評論家の雄・山本益博氏をして、「わたしの仕事を超えてゆく新人がついに現れた」と言わしめた来栖けいさん。すべて自費で食べ歩き、主観で皿を評価する独自のスタイルを確立するまでの道のりを語ってもらった。

来栖けい

5歳にして、デザートの飴細工の輝きに感動
母の作ってくれた手作りのお菓子が思い出の味

 僕の家はお金持ちというわけではないけれど、お金を使うとなると食べることに費やしていました。普段は質素な生活をしていても、お金が貯まったら、どこか美味しいところへ食べに行く。小さい頃からそれに便乗していたわけです。 食に自分から興味を持ち出したのは、5歳のとき。近所のフレンチレストランでデザートにドーム型の飴細工が乗っているのを生まれて初めて見ました。今思うと珍しいことではないのですが、宝石みたいにきれいに輝いて、しかも食べられちゃうときて。それがもうすごい衝撃でした。次の誕生日のときに「あれが食べたい!」とお願いしたくらいで。今思えば、このときに食に対する追及が始まったと思うのです。あれを機に、家で食べるときも「これなぁに?」って母親に聞いたり、「これ美味しいけど、何でできているのだろう?」と、子供だからわからないなりに興味をもって食べるようになりました。とりあえず食べとけ的な、お腹が空いたから食べよう的なことは、したことがないですね。 おやつも母親にいろいろと作ってもらいました。家が駄菓子屋さんのような小さな店をやっていてお菓子は食べ放題の環境だったんですけど、そういうのはあまり食べた記憶がないんですよね。周りの子供達はポテトチップスを食べたがっていたけれど、僕はスナック菓子よりも母親が作ったおやつ、たとえば林檎とサツマイモのバター煮などが一番印象に残っています。バターと砂糖のシンプルな味つけ、思い出の味ですね。たまに友達が来ると、アップルパイを焼いてもらったり。別にポテトチップスを拒否していたわけじゃないですけど、素朴な味が好きでした。小さい頃にそういう体験ができたのが、今の僕には大きかったですね。


来栖けい

自分のお金で食べ歩きを始めたのは高校生から
お金を食にかけるか、洋服にかけるかは価値観の問題

 自分のお金で食べ歩くようになったのは高校生くらいから。徐々にいろんなお店に行き始めました。当時はもちろん安いところを中心に回っていましたが、お金を貯めて、たまには1回で3万円ちょっとのところにも行きました。 これは別にすごいことでもなくて、誰でもできることだと思うんです。“食べること”を最優先にしていれば、高校生が本格的なコース料理を食べたって全然おかしくはない。若い人は特にそうだけれど、食事に1万5000円なんて払わない。けれど、それが洋服だったら普通に買ったりしますよね。価値観の違いなんです。僕はお金を使うといったら、食。食べることを突き詰めていたので、食事に高いお金を支払うからって贅沢しているつもりはありませんでした。 お金を貯めるのに、いくつかアルバイトをやりましたよ。結構長くやっていたのは大学生時代のコンビニの夜勤のバイト。夜は危ないから、今は二人以上じゃないといけないらしいんですけど、当時僕は一人で夜勤していたんです。その分、若干給料がよかった。お金もいいし、レストランを回った後に、アルバイトへ行ける。大学の時は時間がたっぷりあったので、いちばん食べましたね。 そうは言っても、お金がないから一人で食べに行くことが多かったです。それに一人で行った方が食べたいものが食べられる。前菜ひとつにメインひとつ、みたいに決まった数じゃなくて、気になったものは全部食べたいんです。誰かと行くと相手と品数を合わせなくちゃいけないし、女の子と行くと二人分の料金がかかっちゃうじゃないですか。 それに当時、できるだけ多く、いろんな店を回ってみたかったんです。1回分しか食べなかったらその分しかわからないけれど、僕は3回分も4回分も食べられるから、1度行けばそこがどういう店か大体わかる。回った店の数を増やすために、よほど美味しくないかぎり、その店にはもう行かないわけで、食べそびれると、あのとき食べておけばよかったって後悔するはめになるんですよ。だから、値段は気にせずに、食べたいものを食べていた。メニューの値段、見たことないですもん。 10代から一人で高級レストランに行って、いろんなものをオーダーして食べるじゃないですか。しかも、この見た目なんで。「おまえ、金払えるのか?」くらいに見られるんですよ。もう店のスタッフの全部の視線が自分に集まってくるわけで、最初は耐えられなかったです。でも、それで見られ慣れたというか、今は緊張することもあまりない。そのときに鍛えられたんですね。


「ありえないくらい食べる青年がいる!」
その噂がレストラン業界に広まり、やがてグルメ本出版へ

 その当時は、今の仕事をやるつもりはなくて、ただ単に食べたいから、食べていただけだったんです。それでも大学3年生くらいのときに食べることでなにかやりたいと、漠然と思うようになりました。でも、実家が自営業で、僕は長男なので、家を継がなくちゃならない。「家を継ぎたくない」と言ってはあったんですが、親や祖父がやっぱりショックを受けて、最終的には僕が折れることになりました。高校生からずっと神奈川に住んでいたのですが、しかたなく実家へ帰ることに。その条件として、これまでのように毎日とまでは行かなくても週に1~2回は東京へ行くことをあげました。  実家に帰ってからも、東京へ出ては食べ歩き。一人で行っては、ありえないくらいの量を食べるから、そのうちに僕の噂が徐々に広まっていきました。それがとある出版社の耳に入って、知り合いを通じて会いたい、と。僕は食べることになると熱く語るから、会話をしているうちに、いきなり本の出版まで話がいっちゃったんです。でも、僕は家業があるし、締め切りを守れそうにもないし、そんなの無理だと最初は断りました。けれど人に相談してみて「本なんて誰でも出せるもんじゃないんだから」と説得され、とりあえず受けることにしました。  最初はレストランとスイーツとパンを1冊にまとめる予定でした。だけど書き綴った文章の量が多くて、編集者もどうにも削るに削れず…。はじめて本を書く人間がいきなり2冊、3冊出すことは通常ならありえない話なんですけれど、レストラン・スイーツ・パン、全部のジャンルが好きだったから、まずはレストランだけを単独で出すことになりました。この段階で僕としてはまだサッカーでいえば前半終了くらいで、終わっていない。だから引き続きスイーツについて書いていたのですが、その間にありがたいことに、レストランの本の反響が大きかったんです。注目されて、取材を受けることもたびたび。そして続くスイーツとパンの本を出したときには連載ももっちゃったし、もう後に引けない状態になっていました。最初の約束は「1冊で終わりですよ」だったのが、気がつけばこの道から抜けられなくなっていました。実家の仕事もフェイドアウトして、東京に移り住んで、気がついたら今という感じなんです。運が良かったんですね。

後編はこちら


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