天職、見つけた!
興味を大切に、ひとつのことを追い求める。
心が動くのは、目に見えないなにかが、そうさせているから。
#14 [前編]自然写真家
高砂淳二さん

プロフィール

高砂淳二

自然写真家。水中写真家から始まり、陸上の動物や虹まで、地球全体をフィールドに自然全体のつながりや人との関わりなどをテーマに撮影活動を行う。独立後、最初に出版した『free』(小学館刊)は発売一週間で重版。海の気持ちよさを伝える、これまでにない視線が話題に。『night rainbow -祝福の虹-』、『ハワイの50の宝物』など著書多数。最新刊は6月に発刊した『虹の星』(小学館)。“最高の祝福”であるナイトレインボーをはじめ、世界中の虹を集めた、七色に彩られたピースフルな一冊だ。

高砂淳二ウェブサイト
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略歴

1962年

宮城県 石巻に生まれる。

1982年

宇都宮大学 電子工学科に入学。

1984年
転機

大学を休学し、オーストラリアへ放浪の旅へ。ダイビングと水中写真とに出会う。

1986年

大学卒業後、東京の写真専門学校へ。昼間は運送業のアルバイトしながら、夜間、写真学校へ通い、週末は海へ。

転機

ダイビングワールド誌のフォト・コンテストに入選。写真専門学校を退学し、編集部で専属カメラマンとしてアルバイトに入る。

1989年
転機

ダイビング中に水中で気を失い、編集部を退職することに。退職後は独立。

1992年

写真集『free』を発刊し、注目を浴びる。

1994年

水の流れとイルカの美しさを描いた『aqua』など、水中写真をはじめ、動物・植物などの思わず微笑みを誘う瞬間をテーマとした写真集などを多数発刊。

2001年
転機

ハワイでナイトレインボーに出会う。

2003年

ナイトレインボーを集めた『night rainbow -祝福の虹-』を発刊。『ハワイの50の宝物』、『PURE OAHU』などテーマがハワイに。

2008年

世界の虹を集めた『虹の星』出版。


最近のニュース

水しぶきを上げる滝や羊が草を食う大自然、また愛を確かめ合う老夫婦や笑顔の人々などを背景に、世界各国で虹を撮影した写真集『虹の星』を発刊。ページをめくるたびに、心に七色の虹がかかるピースフルな写真集。

『虹の星』
『虹の星』
小学館刊
定価3150円(本体3000円)


影響を受けた言葉


「心が身体を動かす」

合気道や柔術などをやってきたんだけど、メンタルなもので相手に技をかけたりする。世の中は、心やスピリットなど目に見えないものがあって、ものごとが成り立っていると思うんだよね。


あなたにとって、バイトとは?


「お金を得る+経験」が
一挙にできるお得なこと。

人との出会いだったり、そこから温かさを受けたり。いろいろ得れることはあるよね。オレは若造の頃、まわりからよくしてもらったんで、年とった今は返さなきゃ!



TEXT:古関千恵子 PHOTO:森浩司

人柄が作品ににじみ出る自然写真家・高砂淳二さん。学生時代に放浪した
オーストラリアでダイビングと水中写真に出会い、やがて陸の動物、空の虹へ
“興味のままに”撮影テーマが広がった。“ウキウキ”することを追い続けること。
そうすれば、その世界の延長線上のものが見えてくる…。

高砂淳二

水中写真家という仕事を見出したきっかけは。オーストラリアでのダイビング

 カメラを手にしたきっかけは、親父がやっていたから。でも、一生懸命やろう! と決心した原点は、大学時代に休学して旅したオーストラリアでのダイビングでのこと。 ダイビング講習時にフリーマントルで初めて潜ったとき、結構濁っていたんだけど、色とりどりのカイメンが壁についていて、水中はこんなカラフルなんだってびっくりして。地球で生きていて、なんとなく地球のことはわかっているつもりだったんだけど、そこにある海にもうひとつ、別な世界があったんだ! って驚いたんです。 それからダイバーになって一緒に潜っていた仲間の水中写真が売れたと聞き、そんな職業があるのか、と気がついてね。“写真家”は知っていたけれど、“水中写真家”というのがあるのを知らなかったから。もし水中写真家になれたら、そのとき好きだったダイビングと旅とカメラが、全部できるわけですよ。それで一生やっていけたら最高だな、と。
 そもそもオーストラリアへ行こうと思ったきっかけは、大学で専攻していた電子工学が自分には全然あわなかったから。もっとやりたいことがあるのではと思い、旅立ちました。貧乏学生が旅をするんだから、ワーキングホリデー制度があるオーストラリアに決めたんだ。まずは、学校を休学して、最初の半年は旅のための資金集めにアルバイト。とにかく金を貯めるのが目的だったから、金がいいという白アリ駆除の仕事をやったんだよね。それが足場の悪いところを薬がいっぱい入ったバケツを持って歩いているときに足を踏み外しちゃって。頭から駆除の薬をかぶっちゃったんだ、木材につけても10年保証のヤツを(笑)。そのときちょこちょこっと洗って終わっちゃったんだけど、あのときシャンプーでちゃんと洗っておけば…。まさか20代で、そんなに早く(髪に)来るとは、ね(本当はたぶん遺伝)。 その後は朝から晩まで働いた方が金になると気づいて、目一杯働けて、食費が浮いて、しかも旨いものが食べられるところをバイト先に選んだんです。朝は魚市場で働いて魚のメシを食べて、昼間はステーキ屋で働いてステーキ食べて、夜は寿司屋で働いて寿司食ってビール飲んで帰ってくる(笑)。その寿司屋の若い夫婦にオーストラリア行くって話したら、餞別くれたり、アドバイスしてくれたりしたんです。赤の他人がこうやって心配してくれるのは、すばらしいことだな、と思ったんです。そんなアルバイトのできごとも今の自分に影響していると思いますね。


高砂淳二

ワーキングホリデーでオーストラリア貧乏珍道中。
世の中捨てたもんじゃないと感じた日々

 オーストラリアではたくさんの人のやさしさに触れました。最初にシドニーからブリスベンへ入ったとき、夜着いたものだから、しようがなく駅前の公園で寝ていたんだよね。そうしたら、すかさず来るんだよ、おまわりさんが。「だめだよ、ここで寝ちゃ」って。「ホテルを探しても見つからない」と言ったら、一緒に探し回ってくれて。でも、ホテルは高いからさ。その場をごまかして、おまわりさんと別れて公園の影でこっそり寝ていたんだけど、また来てさ。また注意されて。それを繰り返していたら、向こうもいい加減呆れたのか、「パトカーで寝なさい」って。朝になったら、「おはよう」ってサンドイッチまでもってきてくれたんだ。やさしいんだよね、人が。 しばらくオーストラリア西海岸のパースで暮らしていたんだけど、オーストラリア英語が不得意だったから、やれるアルバイトも水まきや家の掃除くらい。それでも、オーストラリアへ行ってよかったなって思ったのが、バイト先の家の人がすごく親切なんです。旅する前は人種差別とかあると思っていたんだけど、全然。それどころか、日本よりも、やさしいって思いました。旅も、バイトも含めて、世の中捨てたもんじゃない、人間っていいもんだよなという思いが、オーストラリアで最初に植えつけられましたね。 パースでダイビングを始めて、その頃は水中写真も自己流でやっていました。シドニーに水中写真のすごい先生がいるらしいって聞いて、パースからわざわざ行ったんです。でも、それはスペシャリティ(ダイビング講習のひとつ)だったんだよね。たいしたこと教われるわけじゃないんだけど、それでも一応取得して。シドニーでいろいろ水中写真の勉強してみて、もっと真剣にやりたいなと思った。そろそろ半年経つ頃だったし、日本に帰ろうかな、と。 そこで現地で乗り回していたバイクを売ることにして。そんなときにバイク倒しちゃったんですよね。でも、壊れた場所がタコメーターだけで、走行距離5000kmだったのが一気に0kmになっていた。いきなり新品になったんだ(笑)。だから、買ったときよりも高く売れて。何十万円か持って帰国し、それでストロボのついた、ちゃんとした水中カメラを買いました。ラッキーでしたよ。


高砂淳二

帰国後はバイトと写真の勉強の下積み時代。
オーストラリアに続く転機がやってきた

 帰国したときに、もう気持ちとしては大学をやめて写真の専門学校に入って勉強しようと思ったんだけど、親戚の猛反対にあってね。「とりあえず、写真は卒業してからにしろ」と。それで1年だけ復学したんです。でも、研究室に帰って先生に「オレはもう写真家になります。勉強をする気はありません」って言ったら、その先生もおもしろい方で、「じゃあ、お前は写真だけ撮ってろ」って。その気になって、3ヵ月くらいで卒論を書いちゃいました。全然中身のないヤツを。それからは学校へ行かずに、アルバイトと水中写真を撮る暮らしを9ヵ月くらい過ごしたかな。 その頃、ダイビングは宇都宮から千葉の館山や伊豆の大瀬崎に小さい軽自動車のワンボックスカーで通っていました。高速道路料金が高いから、ずっと一般道を走ったり…。遠かったな。眠くなったら、後部シートをフルフラットにして、積んだままの布団に包まって寝て。どこでもホテルみたいな感じです。 大学卒業後は東京へ。夜間の写真学校に入って昼間はアルバイト、週末に海へ通う日々でした。この頃のアルバイトはトラックの運転手で、本の問屋さんや印刷会社へ紙を運ぶ仕事。トラックで並んで、荷物を受け取って運んで。のちになって、はじめて小学館から写真集を出版するときに同じ印刷会社へ立会いに行ったんだけど、全然違う立場でさ。「先生、色はどうでしょうか?」とか。あまりにも丁寧な対応をされたときには、なんか感慨深いものがありましたね。 そんなアルバイトとダイビングの生活も3ヵ月くらいで終わりを迎えたんだ。なぜかというと、ダイビング専門誌のフォト・コンテストに入選して、気をよくして「なんでもします!」とその出版社に売り込んだのが認められて。これがオーストラリアに続く転機かな。この出版社では、いろんなことを体験しました。本当になんでもやらされましたね(笑)。

後編はこちら


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