天職、見つけた!
どんな苦難もこの仕事なら自分はがんばれる。
そう思える仕事こそ天職になる。
#13 [前編]美容家
IKKOさん

プロフィール

IKKO(いっこー/本名 豊田一幸)

福岡県出身。北九州美容専門学院卒。 高級美容室「髪結処サワイイ」で澤飯氏に師事。 8年間修行後、ヘアメイクアーティストとして独立し、 92年アトリエIKKO設立。 「女優メイクといったらIKKO」の異名を持つ。 「超オンナ磨き」(アスコム)、「美脚革命」(マガジンハウス)他、著書多数。


略歴

7歳

フライトアテンダントになる夢を抱くが挫折。

16歳

高校2年生のときに美容院でアルバイトを開始。高校卒業後、北九州美容専門学院に入学。

19歳

美容学院を卒業後、高級美容室「髪結処サワイイ」で働き始める。

27歳
転機

ヘアメイクアップアーティストをめざして美容室を退職。ヘアメイクの事務所に配属。故・逸見政孝さんのヘアメイクをさせていただくように。

30歳

「アトリエIKKO」を設立し独立。女優のメイクや女性誌を舞台に活躍。

39歳

ストレスから過換気症候群で入院。

45歳
転機

「どんだけ~」のセリフが大ヒット。2007年の流行語大賞にもノミネートされ一躍有名に。バラエティ番組出演や執筆、CDデビューなど活躍の場が広がる。


最近のニュース

2008年、コスメのアカーデミー賞といわれる「マリ・クレール ボーテ大賞」で初の人物賞受賞。 『IKKO 女の法則』は20万部売れた。『IKKOのキレイを磨くin韓国』(文藝春秋)が5月27日発売、最新刊、『IKKOのキレイの魔法』(世界文化社)が7月に発売。

『IKKOのキレイの魔法』


影響を受けた言葉


「華やかに見える人は、白鳥のように水面下で努力しているもの。」
 

有名な着物デザイナーの池田重子先生から教えていただいた言葉です。努力はひけらかすものではなくて、チャンスがきたときに、さっとできるようにしておくことなんだと、教えられました。


あなたにとって、バイトとは?


「次のステップに行く第一歩」
 

アルバイトは次のステップに行くための経験です。アルバイトだからといって何でもいいわけではなくて、この仕事なら一生やっていけると思える仕事に就くべき。ポリシーを持って取り組んでいれば、天職につながるチャンスが来たときにつかめるし、成功できます。



TEXT:海野 幸 PHOTO:池谷友秀

「女優メイクといったらIKKO」といわれるほど、絶対的な信頼を得ている
ヘアメイクアップアーティスト、IKKOさん。
ここまでくる間には数々の挫折を乗り越えてきたという。天職を極めるまでの道のりを聞いた。

IKKO

初めての挫折。それは性別の壁だった

 子どもの頃からきれいなもの、かわいいものが好きで、お人形さんごっこをするのが好きでしたね。でも、デパートに行っても姉は人形を買ってもらえるのに、私は買ってもらえなかった。悲しそうな顔をしている私を見て、唯一、母が買ってくれたんですが、ずいぶん大事にしましたね。 子どもの頃に最初になりたいと思った仕事はフライトアテンダント。姉といつか一緒にフライトアテンダントになって飛行機に乗りたいねと話したら、あなたは男だからなれないよと言われた。これが最初の挫折でした。自分はどう生きていけばいいのか、ということを嫌でも考えさせられました。 当時は、社会人になって結婚してというのが普通の生き方でしたが、小学生の私は結婚というものが怖かった。人と協調しなければならない仕事も向いていないと思っていました。その頃、母が美容室を経営していたんですが、お店のすみっこに座って、母の手で女の人がどんどんきれいになっていくのを見ているのが大好きでした。「私、この仕事だったらやっていけるかも」と思ったんです。自分は女としてきれいになれなくても、女の人をきれいにすることはできるかもしれない、この仕事だったらできるかもと思いました。それから美容師になることを目指し始めたんです。


IKKO

すべてを否定された修業時代。
自分で決めた道を諦めたくなかった

 高校2年生のときから美容室でアルバイトを始めて、高校卒業後、地元、北九州の美容専門学校に進みました。母からは筋がいいといわれていましたが、学校の成績は良くはなかった。緊張しやすい性格なので、授業のときは良くてもテストでは結果を出せなかったんです。 そのとき先生に言われたのが、「条件はみんな同じ。結果を出せないのはあなたに実力がないから」という厳しい言葉。でも、緊張しなくなるまで練習するしかないと思いました。手首の動きが早くなるように、電車通学途中もベルトに糸をつけ、そこにロッドをつけて手首の練習をしていました。はたから見たら異常な姿よね。でも、そんなことはどうでも良かった。人の目よりも、美容師の腕を上げたかったんです。 専門学校を卒業後に上京して、横浜の美容室に就職しましたが、ここでの生活も厳しかった。「技術がダメ、話し方がダメ、歩き方がダメ」と、私という人間性までも否定されました。もちろん落ち込みましたよ。でも、ダメなら良くしていくしかない。自分で決めた道を諦めることはしたくなかったし、他に自分の生きる道はないと思っていましたから。 私の場合、崖っぷちに立たされたときに「挫折したくない」という思いが前に進む原動力になってきたんですよね。これは子どものときのいじめの体験が関係しています。小学校から、オカマ、などと言われていじめられるようになりました。その時期に自分から空手を習い始めたのに1年くらいでやめてしまったんですが、空手を続けていれば自分の人生を守ることくらいならできたのに、と後悔しました。それ以来、何かを始めたら必ず最後までやり抜こう、と決めたんです。


IKKO

5年後、トップスタイリストに。強力なライバルの登場に奮い立つ

 とにかく必死で腕を磨いて、度胸をつけるためにいろいろな美容コンテストにも出場して、5年目でやっとお店のトップスタイリストになれました。でも、一時的にだったら誰でもトップになることはできると思うんです。だから、3年間はトップの座を守り続けなければならないと思いましたね。その頃、ライバルとなる女性が入社してきたんですが、彼女の存在感が凄かった。彼女が店に出ると全員の視線が彼女に集まる。私の存在はかすんでしまうんです。彼女にあって私にないものは何なのだろう、と考えましたね。そうしたら、カットの仕方や動きなど、彼女は美しく見せることがとても上手かったんです。今、書籍やDVDなどを通じて美しく見せる方法を伝えさせていただいていますが、技術の上手さだけではなくて、手の動きの美しさなども必要なんだと、このとき初めて認識させられました。美について追求していくうちにメイクの仕事もしていきたいと思うようになって、27歳のとき、美容師からヘアメイクアップアーティストへの転身を決心しました。だけど、次の撮影の仕事に転身したとき、またいちからの出直しなんだということを改めて実感させられました。

後編はこちら


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