天職、見つけた!
人生には、近道も回り道もない。
“本当の自分”を、自分自身で掴み取れ。
#12 [前編]フォトアーティスト
須田 誠さん

プロフィール

須田 誠

34歳のとき、10年間のサラリーマン生活で築いた地位・安定・守りを全て捨て、誘われるように世界放浪の旅に出る。
その旅の途中、安く売られていた一眼レフを手に入れ、旅人たちに使い方を聞きながら独学で写真を撮り始める。
現在までに31カ国を旅し、人物を中心に撮影しているフォトアーティスト。
2007年に『NO TRAVEL, NO LIFE』にてデビュー。ニューヨーク近代美術館でも発売される。

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NO TRAVEL, NO LIFE
『NO TRAVEL, NO LIFE』
写真・文:須田 誠
発行・発売:A-Works
定価:1600円(税抜)


略歴

1989年
転機

それまで勤めていた会社を辞め、NYへ留学

1994年
転機

世界放浪の旅へ出発。シンガポールで一眼レフを手に入れる。
アジア、中東、ヨーロッパなどを放浪する

1995年

第16回国際協力フォトコンテスト入賞

2007年
転機

初の作品集『NO TRAVEL,NO LIFE』発表


最近のニュース

月間EXILE』 創刊号に写真掲載。EXILEのパフォーマーのひとりであるUSAがアメリカのスピリチュアルな聖地を背景にネイティブ・インディアンと踊った貴重な写真を激写!


影響を受けた言葉


「自分が変わってゆくこと」
 

世界放浪から戻って、星野道夫さんの本に出会いました。その中の一節に、満天の星を眺めながら「この美しさを愛する人にどうやって伝えるか?」という会話が出てくるんです。それに対する言葉が「自分が変わってゆくこと」。感動したとか良かったとか旅をしろとか、言葉で伝えるよりも、自分が変わることが何よりのメッセージになる。とても共感しています。


あなたにとって、バイトとは?


「目的のための貯金」
 

僕のアルバイト経験は、ほとんどが「必要に迫られて」というもの。学費や旅費など、いつも明確な目的があった。と言いつつ、浮いたお金でバイクとか買ったりしてましたけどね(笑)。



TEXT:飯村智奈 PHOTO:森浩司

昨年発売された、ある旅人の写真集が、若者を中心に多くの人の共感を呼んでいる。
その旅人とは、フォトアーティストの須田誠さん。
サラリーマン生活から放浪の旅へ。その果てに見たものは何だったのだろうか。

須田 誠

最初に選んだ道はサラリーマン タイムカードを押しながら描いた人生設計

 子供の頃はカメラマンになろうなんて、これっぽっちも思っていませんでした。カーレースの映画を観てレーサーに憧れちゃうような、ごくふつうの少年です。最初のアルバイト経験は高校時代。寿司の出前の仕事でした。父が商売をやっていたんだけど、オイルショックの影響で倒産しちゃったんですよ。昨日までは社長の息子だったのに、今日になったらいきなり生きるか死ぬかの死活問題! 高校の授業料を工面するために働くことを余儀なくされた感じです。今だから笑って話せるけれど、当時は家に取り立てにきた借金取りに意味もわからず玄関で土下座して「お金はきっと…」なんてテレビドラマみたいな世界でした(笑)。そのあたりから、反社会的な方向にどんどん傾倒していった。髪を伸ばしてパンクにかぶれて。できるならミュージシャンになりたいと思っていたんです。でも卒業した後、音楽の才能はないなってあっさり自分で見切りをつけた。それで音楽関係の出版社に就職しました。
 音楽雑誌とか楽譜の編集をしていたので、クリエイティブな仕事といえばそうだったかもしれないけど、雇用形態としては毎日タイムカードをガシャンって押す遅刻厳禁の典型的なサラリーマン。そうしたら、そのうちパンク精神も薄れていって(笑)、会社になじんで、社会にもなじんで、気づけばすっかり保守的な人間になっていた。そのうち結婚して、クルマを買って、家を買って、最後は老人ホーム…。自分はそんな風に生きていくんだろうって、ぼんやりとした人生設計を描いていましたね。


須田 誠

3ヶ月の予定が気づけば2年 NYで初めてのドロップアウト体験

 25歳のとき、ちょっと貯金もできたし、海外にでも行ってみようと思い立ちました。行き先はアメリカです。周遊券を手に入れてサンフランシスコ、ロサンゼルス、そしてニューヨークと周りました。特にニューヨークにはずっぽりハマっちゃって、その後も何度か通いました。でもサラリーマンだから、夏休みとかお盆とか、行けてもせいぜい1週間くらい。だんだん、それじゃ物足りなくなって、思い切って28歳で会社を辞めて短期留学することに決めました。ただし、貯金とか再就職とか、帰国後のことも用意周到で(笑)。この頃は、まだまだ保守的だったんですよ。
 日本で少し勉強していった英語は、まったく通じなくてショックだったけど、80年代最後のアメリカは本当に面白かった。特に音楽が好きな人間にとって、ニューヨークは日本の100倍も刺激的に感じられたんです。全然ダメだった英語も、本気で3ヶ月間勉強すればそこそこ喋れるようになる。そうなったらますます帰りたくなくなっちゃって。3ヶ月の予定が気づけば2年(!)。
 ビザが切れたときはかなり不安だったけど、残るって決めたら腰が座った。今思えば、この時が人生初のドロップアウトの瞬間。自分の気持ちに正直に従うってことは、なんと清々しくて気持ちがいいことなんだろう! そんな風に思ったんです。


須田 誠

波瀾万丈のアメリカ滞在で手に入れたオープンマインドな自分

 ただ、現実問題としてお金はありませんでした。帰国後のための貯金はあったけど、なるべく手をつけたくなかったので、友人のツテで旅行代理店のメッセンジャーのアルバイトをしたりしました。これはチケットなどをお客さんに届ける仕事で、今は亡き?無き?どっちかな???ワールドトレードセンター、エンパイヤなんかにも配達で結構行きましたよ。
 NY滞在中、グレイハウンドという長距離バスでアメリカ中を旅行したりもしました。そうそう、このとき初めて強盗にも遭ったんです。夜中に歩いていた僕が悪いんだけど、前から男が3人やって来て、あっという間に押さえられて顔を殴られた。でも僕は意外と冷静で「うわ、映画みたいだ!」なんて心の中で思って(笑)。しかも、僕の口を押さえていたヤツの手が震えてたんですよね。それがわかったら「ああ、こいつらも生活のためにギリギリのところでやってんだなー」なんて妙にクールに考えたり。こういったさまざまな経験も含めて、自分自身がものすごく変わりました。オープンマインドになったというか、サラリーマン時代の保守的な気持ちはかなり崩れてましたね。
 1991年に帰国したら、日本はバブル景気真っ只中。アメリカで身につけたスキルを活かして、レコード会社で2年ほど働きました。そして、バブル崩壊とともに僕は再び旅に出ました。それからすぐですね。生涯を共にすることになるカメラとの出会いは。

後編はこちら


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