天職、見つけた!
増やした引き出しは、丸ごとキャリアに。
とにかく「今できること」にトライする
#11 [前編]コメディアン
パックンさん

プロフィール

パックン

アメリカ・コロラド州出身。
ハーバード大学比較宗教学部卒。
1993年来日。福井県で英会話学校講師を経て、相方マックンと漫才コンビ「パックンマックン」を結成。 現在はNHK『英語でしゃべらナイト』(毎週月曜日)、日本テレビ系列『おもいッきりイイ!!テレビ』(毎週金曜日)などテレビ出演多数。
08年夏放送予定のドラマ『大好き!五つ子』(TBS)にも出演予定。


略歴

7歳

サマーキャンプにいくためにお菓子の訪問販売をする。

10歳

新聞配達のアルバイトをスタート。8年間続ける。

15~22歳

工事現場、講師、DJ、役者など、高校・大学を通じさまざまなアルバイトを経験。

23歳
転機

幼なじみの誘いで初来日。福井県で英語教師を始める。

26歳
転機

上京。相方となるマックンと出会う。

29歳

TBSの情報番組『ジャスト』のレギュラーが決まる。


最近のニュース

パックン、歌声もナカナカ。
パックンが歌手デビューを果たした、2008年キッズソングの決定版。カップリングにはタイトル曲をパックン流に英語訳した英語カヴァー曲も収録。(NHK 「みんなのうた」 2月・3月ソング)。

デビューシングルCD
『△□○コビッチ』
(ポニーキャニオン)¥800

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影響を受けた言葉


「Much has been given you,
So much will be expecded」
 

聖書の引用なんだけど、日本語だと「たくさん与えられた者はたくさん求められる」みたいな意味。子供の頃からいわれ続けたママの言葉です。健康、家族、仲間。与えられたものには感謝し、その分、返すべきである。もちろん自分の息子にもいい聞かせていくと思います。


あなたにとって、アルバイトとは?


「次に繋がるもの」
 

横文字のせいか軽んじられている気がするけど、責任もあるし、そのときできる精一杯の仕事だと思う。アメリカでは履歴書にも書くし、たとえ3ヶ月でも立派な職歴になるんです。だから、すべてのアルバイトは次へのチャンスじゃないでしょうか。



TEXT:飯村智奈 PHOTO:久保田敦

流暢な日本語を操り、漫才、司会、DJなど幅広く活躍するパックン。
ハーバード大卒でアメリカ人の彼が、なぜ日本でお笑いの道を選んだのか?
学歴以上に輝かしいアルバイト歴と共に、これまでの道のりを振り返ってもらった。

パックン

原点は10歳から始めた新聞配達
持ち前の責任感はこのとき培われた

 今の仕事で食べていけるようになるまで、かなりの数のアルバイトを経験していますが、その原点は、10歳から始めた新聞配達。折り込み広告を入れて、輪ゴムでとめて、雨の日はビニール袋にも入れて、1軒ずつ配って、それから登校。18歳までこの生活を続けました。ピーク時にはボク1人で440軒の家を回ったこともあります。そのときは毎朝3時半起き。もちろん家計を助けるためです。
 でも、実はそれより前にサマーキャンプにいくお金がなくて、お菓子を“訪問販売”したことがあるんです。それが7歳。あのときは、これを売らなきゃキャンプにいけない!という一心で、お金を稼ぐという意識はあまりなかった。というより、ボクの子供時代はとにかく貧しかったから、「働いている」なんてアタマで考えるよりも前に、すでに「働いていた」んです。おかげで反抗期なんてヒマもなかった。でも、一緒に新聞配達をしていた姉は途中でストライキっぽくなって(笑)、そのときは2人分配りました。ボクが配らないとお客さんが困る!って思いで。仕事への責任感みたいなものは、この頃すでに培われていましたね。
 さすがに小学生で働いていたのはボクくらいだったけど、アメリカでは高校生にもなれば、たいていアルバイトを始めます。ボクも新聞配達とかけもちで、工場でフォークリフトの操縦したりしてましたよ。免許もないのに(笑)。


パックン

思いもよらず始まった日本での生活
就職活動は交番からスタート

 大学時代ももちろんバイト漬け。バーテンをやったり、勉強を教えたり、そうそう、学生寮の掃除もした。仕事を選ぶ当時の基準は、一に時給、二に好奇心。集中的に働くのは嫌いじゃないんです。2週間くらいでガーッと稼いで、そのあとはパッと切り替えて。でも大半は学費と生活費に消えちゃう。遊ぶお金はほとんどありませんでしたね。
 初来日は23歳。幼なじみが日本で先生をやることになって「一緒に来ないか」と誘われたんです。ボクはといえば、これといった就職先もない、といって大学院に入るでもない。アメリカでは大学を卒業すると、8割くらいが就職組で、残りの2割くらいが自分探し組。このへんは日本とあまり変わらないかな。ボクはまさにその2割のほうだったから、日本いきの話にも軽い気持ちで乗っかった。見たことのない世界を見たい!と。ちょっと環境にも飽きていたんだと思う。結構飽きっぽいんですよ(笑)。
 日本に対する興味? 正直最初はまったくありませんでした。もちろん地図で見たことはあったけど、まさか、自分が日本にいくことになるなんて夢にも思わなかった。行き先は幼なじみの赴任先の福井県です。「これからはフクイがアツイぞ」なんてワケのわからない彼の説得を受けて(笑)。


パックン

捨て切れなかった「役者」への夢
意を決して向かった先は、東京

 それまで知らなかった日本はものすごく魅力的でした。最初は1年。日本語のスキルを身につけて、アメリカに戻って活かせればいいなと。コンビニで履歴書を買って、書き方を教わって、駅前の交番で「スミマセン。近くに英会話学校はありますか?」。そう、ボクの日本での就職活動は、交番から始まったんです(笑)。でも1年経っても日本語はマスターできなかった。というか、この国を知り尽くしてないなと思いました。そこから猛勉強して、日本語検定1級の資格も取って、「よし!この国でやっていける」と確信。ただ、英会話の講師は2年経って、やり切ったと感じていました。
 本当は、子供の頃は役者になりたかったんです。でも、チャレンジする勇気がなかった。それに奨学金で学校へいっていたから、その返済もあった。時間が戻せるなら、当時の自分に「トライしろよ」っていいたい気もするけど、向こうでは「役者をやっています」っていうと「どこのレストラン?」って聞かれる。つまり、スターを夢見たものの、いっこうに芽が出ずにウエイターの仕事をする。そんな若者がたくさんいるわけです。でもやっぱり、どこかで諦め切れなかったんでしょうね。アメリカでも少しやっていたけど、日本でも劇団に入って役者やDJをしたりして、芸能の世界を目指すようになりました。そうなれば次の行く先は「東京だ」と。それが26歳のときです。(後編に続く)

後編はこちら


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