天職、見つけた!
時間も夢もいっぱいある若い時に、前に進まず停滞しているのは滑稽。
どんどん挑戦して、失敗したらまた次の目標をみつければいい。
#03 [前編]華道家
假屋崎 省吾さん

プロフィール

假屋崎 省吾(かりやざき・しょうご)

假屋崎 省吾華道家。假屋崎省吾花教室主宰。美輪明宏氏より「美をつむぎ出す手を持つ人」と評され、繊細かつ大胆な作風と独特の色彩感覚には定評がある。クリントン元米大統領来日時や、天皇陛下御在位10年記念式典の花の総合プロデューサー、愛知万博「胡蝶~能とバレエの宴~」にて立花をするなど、内外のVIPからも高い評価を得ている。
2007年10月27日(土)~11月11日(日)には、8回目となる個展「華道家 假屋崎省吾の世界」及び「假屋崎省吾 花・ブーケ教室展」が目黒雅叙園にて開催される。
著書に『花筺(はながたみ)』『花暦』(メディアファクトリー)他多数。現在TBS「中居正広の金曜日のスマたちへ」にレギュラー出演など、テレビ・雑誌・新聞など幅広い分野で活躍中。

假假屋崎省吾 花教室
電話:03-3582-8720
click


略歴

1958年

東京 石神井に生まれる。

1981年

大学2年生の時、いけばな教室に通い始める。

1983年

大学卒業後、アパレル会社に就職し、3カ月で退社。その後、アルバイトをしながら、花を学び続ける。

86年~
転機

花の会社で働きはじめ、徐々に自らの個展も行ない、忙しく働く。

1989年

フリーの華道家に。

1991年

渋谷区神泉に、自分の事務所「スタジオ・リーフ」を設立。

1995年
転機

母が死去。

96年~

クリントン前大統領来日時や、天皇陛下在位10周年記念式典など大きなイベントの花の総合プロデューサーなどで、内外のVIPからも大きく評価される。

2005年

事務所と教室をベルビー赤坂に移転。


最近のニュース

花暦

花暦
(メディアファクトリー 2940円)


華道家 假屋崎省吾の世界

目黒雅叙園 創業プレ80年記念
第8回特別企画として、
『華道家 假屋崎省吾の世界』
華のチカラをテーマに、部屋ごとに趣の異なる意匠が施された「百年階段」の空間と、鮮やかな華々の力と色のパワーが満ち溢れる、假屋崎省吾の世界が堪能できます。
同時開催「假屋崎省吾 花・ブーケ教室展」

2007年10月27日(土)~11月11日(日)
10:00~18:00
一人1000円
問 目黒雅叙園(営業部)
03-5434-3140
click


影響を受けた言葉と人

 私の場合、小さい時から、周囲と同じでなくても「好きなことをやりなさい」と常に言ってくれた母の存在は大きかったです。そうやってずっと自分を応援してくれた母が亡き後に出会った、美輪明宏さんが私のことを「美をつむぎ出す手を持つ人」と言ってくださったことも大きな励みとなっています。




TEXT:田中 亜紀子 PHOTO:森 浩司 協賛:株式会社河野メリクロン

「美をつむきだす手を持つ人」と評され、花だけではなく、
空間ごとクリエイトする繊細かつ大胆な作風を持つ華道家、假屋崎省吾さん。
順風満帆に進んできたイメージがあったが、実は青年期は挫折の繰り返しだったという。
そんな彼の現在までの歩みを語ってもらった。

假屋崎 省吾

野球よりも音楽や園芸
が好きだった少年時代

  私は今も美しいものが大好きですが、子供時代から園芸や音楽を初めとした美しいものが好きでした。これは母親譲り。母は本当に美しいものが好きで、台所仕事をしながら、シューベルトの歌曲を口ずさむような人だったんです。借家住まいだったのに、私には5歳の時からバイオリンを訪問レッスンで習わせてくれたほどです。小学生の頃からクラシックのレコードをよく一緒に買いに出かけ、私は買ってもらったLPの帯を見て、そこにのっていたほかのLP情報から、また次を買ってもらうという繰り返し。また借家ながら小さな庭があり、両親は園芸を楽しんでいたので、私も小さい頃からシャベルを持ち、見様見真似でタネをまいたり、球根を植えたり。種苗会社の会員になり、カタログをみながら、次はどんな花を花壇に植えようと考えながら、タネを注文するような子供でした。お金は親が払ってくれてましたけどね。
  こうして園芸好きの両親のもと、朝顔やパンジー、四季折々の花を育て、知らず知らず土に親しんでいったことが、私の原点です。当時、周囲の男の子は野球やヒーロー物のアニメが好きでしたが、私はスポーツには興味がなく内向的な子供で、ヒーロー物より、NHKの「趣味の園芸」や「今日の料理」を見るのが好き。自分が周囲とは違った子供であることは子供心にはわかり、「どうしてなのかな?」と少しは悩みましたが、母はそんな私を理解してくれ、「自分の好きなことをやりなさい、」といつも応援してくれていました。そんな母の影響もあって、早いうちから、自分は自分、人は人と思っていましたし、好きなことをやると楽しいし幸せだ、ということがわかっていた。ちょっと大人っぽい子供だったかもしれません。
 ただコミュニケーションが苦手だったので、ほかのはしゃいでいる子供の輪に入っていけなかった自分にある種の挫折があり、この世の中は、ままならないことがある、ということも早いうちから感じていましたね。でもそんな気持ちも、好きなことをしていれば吹き飛んでしまっていました。


さまざまな挫折を味わった青年時代
就職してわかった好きなことをやる幸せ

假屋崎 省吾 青年期は挫折の連続でした。たとえば、バイオリンの後ピアノを習いピアニストになろうと高校時代まで真剣に練習しましたが、一流のピアニストになるには、特別な才能がない場合は、ある程度小さなうちから訓練を始めないと間に合わない、とわかって挫折。だったら進路をどうしよう? と考えた時、園芸が好きなので、園芸学科のある大学に進もうと思いましたが、これは理系でないと難しい。私は文系だったので、受験したもののこれも挫折。2浪の末、文系で大学に入ったものの、それだけ苦労して入った大学の生活は、自分が期待していたものとは大きく違い、失望して学ぶ意欲も失せていきました。
 そんな大学2年の時、いつも自分のそばにあった「花」の世界に入るきっかけがあった。ふと見ていたNHKの「婦人百科」のいけばな講座を見て、いけばなを習ってみようと思ったんです。いけばな関係の本を2、3読み、すぐに男性でもとってくれるお教室をさがし、通い始めました。本を読んで予備知識もあったし、もともと花が好きなので、授業で習う以外のこと、たとえば空間を利用してみたりと自分でどんどん挑戦して楽しかったですね。こうして大学時代は一生懸命花を習っていましたし、将来花の仕事をしたいとも思いましたが、彫刻や絵画と違って、売ることのできない「いけばな」で自立するのは難しいとの思いも強かった。また父が急死したため、母のため親孝行したい気持ちもあり、卒業後は就職することにしました。当時は、デザイナーズ・ブランドの全盛期で、美しいものが大好きな私は、ファッション業界に入ろうとアパレル会社に就職したのです。営業で銀座のプランタンに行ったり、丸井ヤング館で売り場に立ったこともあります。でもとにかく忙しくて朝から晩まで仕事、仕事。休みもないし、自分の時間がまったくなかった。営業の仕事をしながら、自分はそういうことより、手を動かして物を創る、クリエイティブなことが好きなんだ、ということがよくわかりました。もちろん一生懸命働きましたが、やってみないとわからないことはいっぱいあるんです。会社に入ってから、好きな花に触れる時間もまったくなかったので、余計自分が好きなことがわかったんですね。結局、習っていた花のお教室のイベントへの参加がきっかけで、3カ月で会社をやめました。
 それからはとにかく好きなことをしよう…と、アルバイトをしながら一心に花の稽古をしました。まだフリーターなんて言葉もない頃でしたが、ファーストフードやスーパーマーケットなど、いろんなところでバイトをして。当時は時給が420円ぐらい。お金はぎりぎりでしたが、束縛されない分、楽しかったですね。今勉強して、花が仕事になるだろうか、とか、お金になるんだろうか、とかそんなことはいっさい関係なく、好きだからという理由で打ち込んだ日々。また花以外も、銀座の画廊を毎週めぐったり、好奇心のままにいろんなことを見たり聴いたりして吸収しました。人間の一生なんてあっという間です。だったら好きなことをやろうと。自分が就職して3ヶ月我慢した経験があったからこそ、好きなことを懸命にやるうれしさを余計感じられましたね。


假屋崎 省吾

作品を創りたい思いで個展を開催
これがきっかけで評価される

 そうやって花に打ち込んでいるうちに、花のお教室関連の会社に所属してアルバイトするようになりました。ここで師匠の仕事を手伝いながら、人がやらないような実験的なことをいろいろ試し、自分独自の世界もどんどん広げる努力をしていた。すると今度は自分の世界を表現するための作品が創りたい気持ちでいっぱいになっていったんです。とはいえ個展を開くお金はなし。そのいてもたってもいられない思いを母に話したら、とぼしい貯えの中からお金を出してくれたんです。おかげで個展ができ、そのおもしろさに憑かれ、結局その年は4回も展覧会を行ないました。もちろんここでもいろんな試みをしました。会場の床に土を敷きつめて、ひびわれた表面に水盤をおいて自分が育てた日本桜草を浮かべたり、桑の枝を大胆に使ったり、「土」をモチーフにしたり。
 そんな作品が来てくれた方々に斬新に受け取られ、徐々にディスプレイやいけばなを個人的に頼まれるようになりました。内気で消極的だった自分が、花という自己表現ができるようになったことで、強くなり、どんどん変わっていく実感があった頃でしたね。この頃は昼間は所属していた花の会社での仕事。夜に自分の花の作品創りと、それは忙しかったですが、全然大変じゃありませんでした。好きなことは寝なくたってできるんです。とにかくやりたくてたまらなかったので、がむしゃらに作品を創り、いろんな物を見たり聴いたりして、働いたお金はみんな消えていきました。
 今考えると、あれは自分への投資でしたね。お金を儲けようとはまったく考えていなかった。もちろん、働いていたのでいろいろ嫌なこともありましたよ。花の世界とは、ねたみやそねみ、嫉妬が渦巻く世界なんです(笑)。私の場合、早くから独自の世界を持っていたから、ずいぶんひどいこともされましたよ。どうしてこんなことをされるんだろう、ひどいことがあるんだろう、と悩んだりもしましたが、そういう意地悪なことをする人は、自分にない才能に嫉妬しているんだと、ひどいことがあればあるほど燃えました。不平不満なんて言ってても何も変わりません。それより、その何くそという気持ちで、頼まれたディスプレイや個展を一回一回心をこめてやりましたよ。それでいろんな方が「おもしろいね」と言ってくださり、仕事がどんどん増え、31歳の時、フリーの華道家として独立しました。2年後には自分の事務所も持ち、いろんなことに挑戦し、充実感でいっぱいでした。この数年後に、人生最大のピンチがやってくるとは知らずに……。(後編につづく)

後編はこちら


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