天職、見つけた!
たとえ、人から見たら無意味なことだったとしても、
自分が心から楽しんだ日々は何らかの糧になる。
#02 [前編]漫画家
石原まこちんさん

プロフィール

石原 まこちん(いしはら・まこちん)

1976年 東京生まれ 高校卒業後、就職した会社を3日でやめ、フリーター生活に入る。
95年に、ヤングマガジンで「SENTOUS(銭湯ズ)」が掲載され漫画家デビュー。デビュー後も時々投稿するものの、ほぼフリーターとして、短期的なバイトをしては毎晩友人と遊ぶ生活を送る。23歳の時、週刊ビッグコミックスピリッツで「THE3名様」の連載が始まり、実写化されるなど一躍作品が注目される。現在は週刊ビッグコミックスピリッツ、週刊SPA!をはじめ、男性漫画誌や携帯サイトなどでいくつも連載を抱えている。


略歴

1976年

東京に生まれる。

1995年

高校卒業後、入社した会社を3日でやめる。
フリーターとなり、初めて投稿した漫画が、ヤングマガジンにて賞をとった「SENTOUS」にてデビュー。

~98年

フリーターをしながら、ファミレスで毎夜、友人と集まる、まさに後で描く「THE3名様」そのものの日々を送る。
そのかたわら、時々漫画を描く生活。

2000年
転機

週刊ビッグコミックスピリッツにて「THE3名様」の連載が始まる。

2005年

「THE3名様」が実写化され、ポニーキャニオンより発売。

2006年

初めて描いた小説「ソウルトレイン」が、映画化される。

2007年

週刊SPA!にて、自伝漫画「GENGO」を開始。
8月には初めてのエッセイ集「ニート道」(新潮社)が発売。


あの頃は…

『THE3名様 みんなが選んじゃったベスト11 これってどーよ!?』

『THE3名様
みんなが選んじゃったベスト11
これってどーよ!?』

塚本高史、佐藤隆太、岡田義徳の3人によるシチュエーションコメディーとして実写化。
現在6タイトル発売しており、8月3日に7タイトル目「THE3名様 みんなが選んじゃったベスト11 これってどーよ!?」が新発売。

発売元:「THE3名様」 Partners
問 ポニーキャニオン 03-5521-8025
\2,415(税込)
2007/08/03発売
(C)2007石原まこちん/小学館/「THE3名様」Partners


「THE3名様」

週刊ビッグコミックスピリッツでの連載をまとめた「THE3名様」の単行本。現在9集まで発行。(小学館より。各476円)




TEXT:田中 亜紀子 PHOTO:森 浩司

ファミレスに毎夜集う3人のフリーターのとりとめない会話がリアルな漫画「THE3名様」。
佐藤隆太、岡田義徳、塚本高史ら人気俳優によるDVD版も大人気だが、その「リアル」は、
作者、石原まこちんのフリーターとニートの間を彷徨っていた数年間の実体験にある。

石原 まこちん

「何で就職するの?」
就職する意味がわからなかった

  まさに、高校を卒業してからの数年間、昼は最低限の生活費を稼ぐバイト、夜は毎晩、男友達とファミレスで集まって時を過ごす「THE3名様」を地で行く脱力した生活をしてました。いや、あれより話題は意味がなかったかも(笑)。無意味に大きな野望を語りあったり、何も話さずじ~っとしていたり。あんなに精神的に余裕があった時はなく、当時も幸福でしたし、あの5年間があったから、今の自分がいると思っています。
  もともと小学1年生の時から漠然とマンガ家になりたいという思いはあったんです。卒業文集にも書いてたぐらい。でも真剣に修業したりする気はなく、なる方法がわからずに大人になったという感じですね。「キン肉マン」や「北斗の拳」が大好きで、小・中校時代はノートにシャーペンで絵を描いたりする普通の子でした。でも中学校の担任が成績のいい子だけを見ているような人で、僕はひねくれてやる気がなくなったんです。例えば、30歳までのビジョンを表にしろ、とかいうんですよ。何いってんだ?! と思っちゃった(笑)。要領のいい人は親のあとを継ぐとか、ウケのいいこと延々と書いてましたが、何年も先のビジョンなんて、大人になった今だってたてられないのに中学生だった自分にできるわけがない。で、やる気がなくなって、家から自転車でいける距離にあるという理由で高校も決めました。ここは不良がものすごく多いところでね。小柄で気弱な僕が、いじめられなかったのは漫画が描けたからです。ノートに書いた漫画をみんなが回し読みして、恐い人たちに「描けよ、石原」とかいわれて(笑)。編集者より取り立てがよっぽど恐くて必死で書きました。今より月産ペース多かったかも(笑)。
 そんな毎日から進路を決めなくてはいけない時期がやってきたのですが、この学校の進路は基本的にみな就職。僕はお金は必要最低限しかいらないと思い、就職する意味がわからなかった。周囲の友人たちに「何で就職するの?」と聞きまくっても、「お金が欲しい」とか「バイク欲し~じゃん」とかそういう答えしか返ってこなくて、やっぱり就職する意味がわからない。だってバイク買うならバイトでいいじゃないですか。ただ自分のようにビジョンがないと思ってたみんなが、就職は常識と思っていたことにびっくりしましたね。そうするうちに刻々と卒業の時期が近づき、就職指導の先生が「まじめに考えろ」と迫ってくるわけですよ。進路希望の紙を出す時も、当時人気だった「Mr.ビーンの弟子になりたい」と書いて先生を途方にくれさせたけど、これは本当にそうなりたかったというより、ただただ逃げたかっただけ。相変わらず漫画家にもなりたかったですけど、現実とはちょっと違うところにあったんですよね。


石原 まこちん

就職した会社も3日でやめた
情報誌を見ながらバイトを探す日々

 そんな僕を心配した進路指導の先生が、うちから自転車で15分の距離にある、食品関係の展示品メーカーの就職試験を勝手に決めてきちゃったんです。「物作るの好きだろ」って。渋々受けましたが、やる気もなければ入る気もないので、面接では落ちることばかり考えてました。お昼に出たお弁当のソースをシャツにわざとつけたり、志望動機を聞かれた時に「自転車で通えるから」とか、「先生が見つけてくれたから」とか適当なこと言ってたのに、なぜか受かっちゃったんですよ。困りましたね。それでも展示品作りを「アートの世界」と勘違いしていたので、しょうがないけど行くか、と就職しましたが、配属されたのは工場で、もろ職人のハードな世界(笑)。僕、そういうの苦手なんですよ。新人は朝7時半までに出社して作業場の掃除をして8時半に朝礼。掃除して展示品を作る原料を溶かしたり、汗だくになってやって、ようやく朝礼にかけこむと、先輩が「殿様出勤してんじゃね~よ」となぜか怒る。腹がたっても、職人の世界は上が白といったら、それが黒でも白。我慢できなくて3日でやめました。
 いきなり高卒後プー太郎になったんですが、就職を一度したせいか、「働かなきゃ」という気持ちだけは芽生えてたんです。進歩でしょ? さっそくバイト情報誌を買ってアイスクリーム屋さんの仕事を見て、街のかわいいアイスクリーム屋さんで働く自分を想像して「いいじゃん!」と応募したんです。もともとかわいいものも好きなんですよ。受かったんですが、これがまた工場(笑)。しかも現場では工場長と僕の二人だけ。「バニラの匂いって吐き気がするよな」など、工場長がずっと愚痴をいいながら作業していて、僕は「そうすね」だけ繰り返してました。このバイトは週2回だったのであとの日はずっと家でぼぉっとしてました。3カ月ぐらい働いたかな。もった方ですよ。この頃家の近くの友人たちは大学生になっていたので、ファミレスに誘ってくれて、そこから僕のファミレスライフが何となく始まったんです。
 それまで漫画家になる方法もあまり考えてなかったんですが、チャレンジしていない強みで、「やればできる」と根拠のない自信だけはあった。だからいっちょ、やってみるかと雑誌の賞に応募したんです。もちろん描くのも、応募するのも面倒でしたけど、バイトや就職して働く面倒くささより僕にはよっぽどよかったんですね。自分の作風が受け入れられそうな雑誌を探して、応募すると、初めての応募なのに夏ぐらいに佳作に入って賞金10万円!「だから言ったじゃん!」と思いました。またすぐに別の賞に入って、こっちは60万円ゲット。もう働かないでも10年暮らせる(笑)、と思ってバイトをする気もなくなったんです。かといって、これで漫画家で食べていける、というわけでも、そういう熱い気持ちもなく、夜はファミレスにいって友人と会話し、昼は寝たり友達と遊んだりの生活。ところが、この頃おもちゃのPEZ(ペッツ)にはまったり、ついついライブに行ったりしちゃって、賞金がみるみる目減りしてきたんですよ。PEZ(ペッツ)は350円ですが新作やレアものが出ると「やばい、買わなきゃ」と思うので、やはり生活費をバイトで稼ぐことにしたんです。


石原 まこちん

バイト応募の落選連続50回記録。
夜はファミレスで至福の脱力の日々

 しかし、ここから連続50回バイトの応募を断られる、という記録を作りました。当たり前なんですよ。こっちはやる気ないですから(笑)。たとえば近所のスーパーに面接にいって「石原くん、昼から夕方まで入れる?」と聞かれると、「あっ、だめです、その時間は聞きたいラジオがある」なんて答えちゃうので。当時、飲食店、ビデオ屋、プログラマ-(できないけど)、レコード屋などいろんなところに面接にいきました。1回面接に行って落とされると、自分にも親にも「応募したけど落ちた」という正当な理由ができ、1~2週間はだらだらしていられたんですよ(笑)。
 この頃は親の外圧、さすがにありましたよ。居間に下りていくとさりげなくバイト募集の紙がおいてあったり。こうしてお金がない時もファミレスライフは続けて、働いている友達がおごってくれてました。最初は10人ぐらいいたんですが、結局5人ぐらいに固定されて、そこで「絶対僕はマンガ家になって食べてくよ」というと、他の友人も「俺は俳優になるぜ」とかね。みんなでビッグな夢を語りつつ、「でも俺達には日本は狭くて、はばたけないんだよ。やっぱりアメリカかね」とか好きなこといってだらだらしてました。まさに「THE3名様」の世界ですね。女っ気のない男の世界は本当楽しかったです。だから誰かが「就職する」というと、めちゃくちゃ足ひっぱりました。「おまえはそんなところに収まる器じゃない」とかいって(笑)。彼女ができたヤツがいると「おまえは変わった」とかいって、男の友情にひきもどしては絆を深めてましたね。
 この生活は幸福でね。お金がなくなるとバイトして、最低限のお金がたまるとやめて。自分にとってはバイトは最低限のお金、友達と毎晩ファミレスですごせるだけのお金を稼ぐための手段だったので、3万もあればしばらくは安泰でした。一方、マンガも時々投稿しては賞金を稼ぐ。23歳になる頃まで5年ぐらい続けていたそんな生活が一生続くかな、と思ったんですが、やっぱり物事は変わる時がある。ある編集者との出会いが、結局はこの楽園生活を変えることになったのです。(後編につづく)

後編はこちら


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