時給よりやりがい。ほめられることがただうれしかった 見つけた!バイトから将来の道 シェフ編
バイトをしていて、「将来やりたいことが見つかった!」という方はいますか? 「お給料だけが目的だし、そういうことは特にないなぁ」という方もいるかもしれません。今回取材したのは、西新宿にあるレストラン『aura』のオーナーシェフ白井範之さん。ミュージシャンを目指しアメリカへ渡ったが、料理の楽しさが忘れられず、シェフになった人物。彼が夢を変え、料理の道を歩むことになった魅力とは? シェフが彼の一生の仕事になった道のりを紹介します。

(取材・文:浜田彩 編集部:メガネ 制作日:2007/11/5)
レストラン『aura』 オーナーシェフ白井範之さん シェフへの道
START →転職→ GOAL!16歳 夏休みの間、ベースを買うために皿洗い・仕込みのバイトをする。18歳 高校卒業後、音楽か美術の道へ進みたかったが、親に反対される そこで、親を納得させるためとりあえず調理師専門学校へ入学 22歳 音楽修行のために渡米 アメリカではカフェで働き、料理の腕を評価される 23歳 プロミュージシャンになることを断念して帰国飲食業に就くことを決意して、フレンチレストランやホテルでウエイターをする  25歳 フレンチレストランのキッチンで副料理長として働く 28歳 イタリアンレストランで料理長を務める 47歳 「aura」をオープン、オーナー兼シェフに
きっかけは高1でやった皿洗いのアルバイト
料理の世界に足を踏み入れたのは高校1年生の夏休み。
友だちに誘われて逗子マリーナにある有名なレストランで皿洗いのバイトを
することになったんだ。バンド活動に必要なベースを買うためにお金が必要
だっただけで、まさか自分が料理人になるなんて想像もしていなかった。
それどころか、“男子、厨房に入らず”という考えをもつ親だったから、
「料理や皿洗いなんて女性の仕事だろ」くらいに考えていたんだよ。
だけどバイトに行ったら、料理人同士がいきなりケンカをはじめてしまう
ような血気盛んな調理場を見てびっくり。今では考えれらないけどね(笑)。
料理場は戦場、料理は男の仕事なんだとはじめて知ったね。

  イタリアンレストラン「aura」 オーナーシェフ 白井範之さん(49)



   イタリアンレストラン「aura」 
   東京都新宿区西新宿6-17-7 エクセル7ビル別館2F

ほめられることがうれしかった
皿洗いっていうと簡単だけど、お皿の数はハンパないし、
50℃近い熱湯に手を突っ込んで食器を洗うというハードな仕事だった。
だけど、僕には、任されたことは何が何でもこなしてやるという負けん気が
あった。「すごいね」とか「センスあるよ」とか、そのときは、なんで
ほめられているのかわからなかった。でもうれしかったな。
「よくがんばったね」って言われて、お客さん用のハンバーグステーキを
シェフ自ら作ってくれた(笑)。
今思えば、何でも吸収していこうという姿勢。手が空いたら積極的に
仕込みの手伝いをしたり、空き時間には料理の仕方を質問したり。
そんな前向きな姿勢を先輩たちは認めてくれたんだと思う。

料理人の才能があると言われたけど
夏休みのバイトを終えるころ、シェフに「料理人にならないか。
才能があるよ」と言われ、夏休み以降もバイトにおいでと誘われたけど、
ミュージシャンになると決めていたから断ったことがあったんだよね。
当時は、料理よりも音楽のほうが、自分の生きる道だと信じていた。
でもその後すぐ、一生忘れられない出来事があった。
僕はおばあちゃん子だったんだけど、バイトでシェフに教えてもらった
料理を作ったら、おばあちゃんがすごくうれしそうに食べてくれたんだ。
あのときのおばあちゃんの笑顔が料理をする喜びを教えてくれた。
その後も高校時代は居酒屋でバイト。料理をしながらお客さんに
気をつかってと、忙しかったけど接客のイロハはここで学んだ気がする。



音楽をあきらめきれなくて…
高校卒業後は、音楽の道に進みたかったんだけど、親に猛反対
されて、今までバイトで経験していた料理の学校へ行くことにした。
調理師専門学校は手に職をつけられるから親も納得してくれたけど、
ミュージシャンになる夢は捨ててなかった。
入学後は、友人の紹介でステーキ&ハンバーグの店でバイトをした。
最初の半年はホールとマネジメントの仕事を教えられて、学校を
卒業する頃には、そこで社員になるレールができていたよ。
そのうち、調理場もホールも兼業するようになり、新店舗の立ち上げ
も任されるほどだったけど、それでも、音楽を諦めていなかった。

渡米して夢を失い気づいた、自分の進むべき道
22歳になり、資金的にも気持ちにも区切りがついたから、ステーキ&
ハンバーグの店を辞めて、音楽修行のために渡米することにしたんだ。
だけど、現地で痛感させられたのは、自分の音楽レベルじゃ世界では
やっていけないという現実。
一方、アメリカではカフェで働いたんだけど、料理の腕はアメリカ人も
認めてくれたんだよね。お客さんの中には、「資金も店舗も俺が用意する
から、ビバリーヒルズで店を出さないか」なんて真剣に声をかけてくれる
人も数人いたんだ。約1年間のアメリカ滞在で、自分の進むべき道は
音楽ではなく料理なんだということに気づくことができたんだよ。
皿洗いバイトのシェフの笑顔が浮かんできたね(笑)。



道を決めたら、自分にたりないものを補っていくだけ
料理人になるんだと決めて帰国してからは、自分にたりないものを
補っていくことにしたんだ。いろんな形態の飲食店を見てみたくて、
フレンチレストランやホテルのレストランでウエイターをしながら、
きちんとした接客マナーやサービスを勉強したよ。
約2年間ウエイターをした後、フランス料理のキッチンに入って、
3年くらいたったときに、イタリア料理のお店からシェフになって
くれとオファーがあってレストランへ移ることに。
そのうち、もっとたくさんの人に自分の味を食べてもらいたいと思う
ようになり、ホテルで働いたり、企業でメニュー開発に携わったり
しているうちに、自然な流れで今のお店を開くことになった。

今後は、より自由に料理で自分を表現していきたい
自分のお店を持つことを目標にしてきたわけではなかったけれど、
自分が表現したい料理を自由に作るためには自分のお店が一番。
表現したいことが変わってくれば、立地条件も変えることができるからね。
今は、都会で生活する人のために都心で料理を作っているけれど、
いつかもっと自然に近い場所で、今と同じようにのんびりした時間や、
心がもっと温かくなるような料理を提供していけたらいいなと思う。
料理は、自分が今までにバイトで経験してきたことや、プライベートで
感じたことも自由に表現できるもの。音楽や絵画など、芸術的なものと
似ているんだよね。料理人は、何かを表現したいと思い続けている限り、
一生続けても飽きない職業だね。



はじめてみないと自分の才能には気づかない
どんな職業を目指している人にも言えることだと思うけど、最初から
“自分には無理かもしれない”“才能がない”なんて決めつけたり、
あきらめたりてしまわないで。興味があったら、その世界に飛び込んで
みてがんばってみて経験してみることが大切だと思う。
才能があるかないかは、その後にわかること。
一生懸命にがんばっていれば、いつかその道を諦めることがあったり、
失敗を繰り返してしまったりしても後悔は残らないはず。
また、学ぼうという姿勢を忘れないで。
受け身でばかりでいたら学べることは限られてしまう。
自分から積極的に動いていくことを心がけて真剣に取り組んでいれば、
料理人に必要な感性や技術が磨かれていくはずだよ。
編集後記
 今回、インタビューさせていただいた白井さん。撮影はとても恥ずかしそうに対応してくれました。「昔は選択肢が少なかった。ボクは音楽か料理だけだった。今の若い人は選択肢が多すぎるのかもしれないね」と白井さん。多くの選択肢の中から何を選ぶかは、直接ソレを体験してから決めればいいと、語ってくださいました。いろいろ試してみたら僕も、編集ではなく本当はバーテンダーに向いてたってことがあったのかもしれない。

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